現在、ヤンゴン市内の日常の風景画(ヤンゴン在住当時に描いた) の展示や、 障害者の方のアート作品の数々を展示してある土間部分について、ご紹介させていただきます。
京町家は奥に深い形状で大抵は奥は生活のためのエリアであり、 表は店などの商売のためのエリアであることが多かったようです。 大抵の家は職住一体でした。楽平家では「路地(ロージ) ギャラリー」と呼んでいる土間の部分は通常「トオリニワ」と言われています。
玄関から奥へと生活に必要なものや家人のアクセスのための通路で あると同時に、現在の台所の機能を持たせてあります。 大型の町家になると「ミセニワ」「ゲンカンニワ」「ハシリニワ」 とそれぞれの機能も分かれてより立派な構えになります。「 ハシリ」とは流しのことで「ハシリニワ」が台所にあたります。 楽平家では「ミセニワ」がなく「ゲンカンニワ」「ハシリニワ」 だけがあり、その二つを併せたものを「トオリニワ」 と呼んでおりこの形が最も一般的なようです。
昔は「おくどさん」と言われる薪を使う窯で調理を行っていましたので 、煙や煤の抜け道として土間の上は「火袋」 と言われる吹き抜けの大空間があり、 天井には天窓のような煙出しがありました。 昔は冷蔵庫がないので食品の保存場所として熱気が抜けていく土間は貯蔵に最適であり、夏でも涼しい場所でした。 冬は火を焚くので暖かく家族が集まる場所であったそうです。
表と奥を土足で結んで奥の庭の手入れのための植木屋が行き来したり、昔は汲み取り式であったお手洗いの排泄物を一週間に一度は汲み取りに来たりなど、 土間であることが様々な理由で理に叶っていました。